雅の本質 そして、人類最後の良心

 

音楽の真の価値とは何なのでしょうか?

音楽はなぜ私たちを魅了し続けるのでしょうか?

 

この疑問に英国の認知考古学者の第一人者であるスティーヴン・ミズンは、

「音楽こそ、人類にとってコミュニケーションの原点である」と、

とても興味深い説を唱えています。

 

言語が確立する遥か昔、ホモサピエンスの時代の我々の祖先は、

単語や文法がまだ確立されていないコミュニケーションの中で、

”コール”(吼える・鳴く等に近い表現)と、

身振り手振りで自分の心を伝え、相手の心を感じ取っていたようです。

 

コールはまさにメロディー、身振り手振りはリズムを表現します。

ハーモニーは…? 必要ありません。

この地球上には、たくさんの響きが溢れています。

一つの音に聴こえる響きにも、実は倍音と呼ばれる無数の響きが含まれ、

無限のハーモニーを奏でています。自然界が生み出す壮大なハーモニーです。

音楽家からすれば、大自然と一体化したコールと身振りの表現は、

とても精神性の高い立派な音楽です。

 

私たちの祖先はコールで何を伝え、何を共感・共有しようとしたのでしょう?

 

例えばそれは、当時の過酷な環境の中で ”今日も生きている” という喜び、

自分が今生きている喜び、相手が今生きてくれている喜び、また同時に、

先立つ者との別れの悲しみを共感共有しようとしたのではないでしょうか?

この様な、限りなく音楽に近いコミュニケーションを行っていた時代を、

音楽と認知行動の関連性の視点から研究した前述のスティーヴンは、

音楽には二つの能力が必要であると解説しています。

 

一つは、自分の心を音楽で表現する能力

もう一つは、音楽から相手の心を感じ取る能力

さらに音楽に必要な能力とは、創作者・表現者・聴衆の

全ての人々に必要な能力であると語っています。

 

現代に視点を戻してみると、

この二つの能力のうち特に ”他者の心を感じ取る能力” は、

ますます失われていっているように思えます。

 

無関心・無感動が広がる現代、相手の心を感じ取り、

相手の喜びや悲しみを共感し、共有するコミュニケーション。

言葉では収まりきらない心と心のせめぎあいの中で実現する、

共生への挑戦が失われつつあるのではないでしょうか?

 

このような時代に、私達音楽家はコミュニケーションの源流である音楽を通じて、

心、命、共生、生きる権利の尊厳を、再認識する機会を生み出す使命があると、

少なくとも私達HowZanは感じています。

 

アフリカから出発した人類の旅はシルクロードを行き来し、

極東最果ての日本まで辿り着きました。

そこは人類が良心に気付いた場所。

忘れかけていた、自らの本当の良い心に気付かされた場所。

 

島国と呼ばれる日本は、実は多様性に対して

最も寛容の精神を身につけた民族なのかも知れません。

日本人特有の思いやり、時に自らをも省みない他者を優先する精神、

自然と共生し、自然に対して美を追求する文化。

 

大和の心、雅に貫かれる良心は、

西洋のConscienceとは根本から違います。

 

「をかし」「もののあはれ」の本質、

それはつまり、人類最後の良心。

大和の心、雅こそ、私達が世界に向けて音楽に託す魂です。

 

「心より出で-願わくば再び-心に向かうよう」とは、

ベートーベンの言葉ですが、無関心・無感動が広がる現代において、

願わくば「心こそ」であらんことを。

 

それが、私達HowZanが音楽を通して実践するフィロソフィーです。